【短編小説】風車は止まらない
「絶対に止まらない風車があるって話、知ってます?」
サークルの後輩である神崎が思い出したかのように言った。
飲み会のあと俺の家で2人、だらだらと酒を飲み直し時刻は23時。
すっかり日が落ち、そろそろお開きという雰囲気が漂い始めた頃だった。
「風車ってあの、でっかいのじゃなくて、田舎道とかに刺さってるあの小さいやつっすよ。
こっから3駅くらいの村にある神社に祀られてるらしいんすけど」
祀られてる、という表現に少し面食らった。アルコールにうかされた頭でも、絶対に止まらない風車なんて代物があるわけないと断言できる常識は残っている。
それが実在するとなると、なんらかのカラクリが施されたジョークグッズの類だろうと考えられるが、そんなものをご丁寧に神社仏閣で祀るだろうか。
加えて神崎の話では、『ブツ』は一般公開されておらず、そこの神主の家系の者にのみ謁見の権利が与えられると言うのだ。
「で、俺そこの分家の長男す」
はあ、と俺は返した。なにやら話が妙な方向に向かっている感覚がある。
そして今、俺は鈍行列車に揺られ、くだんの神社がある村へと向かっている。
神崎は本家の人間に頼み込み、なんと友人一人__つまり俺__の同行許可を勝ち取ったのだ。
神主の家系以外の謁見を禁ず、のルールはそれほど堅いものでもないらしい。
さて、ローカル線を乗り継ぎたどり着いたその村は、かくも見事な田舎であった。
大学周辺ではぱったりと見かけなくなった蝉もジージーとひっきりなしに鳴き、そこかしこにある窓の割れたトタンの家屋からは脂の腐ったような臭いが漂っていた。
「2kmぐらい歩きっすね」
バスなどを期待する方がおかしい。
1時間ほど歩いたのち、我々は例の神社に到着した。
前髪が汗で額にべっとりと貼り付き、不快だ。
塗装が剥がれ木目が大きく露出した鳥居をくぐり、拝殿へ歩いていくと、社務所から初老の男性が出てきた。おそらくこの神社の神主だろう。
例の風車が納められているという宝物殿へと案内される道中、彼は部外者の俺に対してもその言い伝えについて色々と教えてくれた。
江戸時代初期に曰くありげな行商人が持ち込んだとか、以来その風車の回転が止まったのを見たものはいないとか。
「まあ、世界が終わらん限りあれは止まらんでしょうね」
そう語る神主の表情には、どこか諦めのようなものが滲んでいた。
絶えず鳴き続ける蝉の声。じっとりと纏わりつくような暑さ。
神崎はペットボトルの水をごくごくと飲むばかりで、淡々と歩を進めている。
宝物殿へと向かう道のりがどこか非現実的な、白昼夢のように感じられた。
「ここですよ」
神主の声でふっと現実に引き戻される。神主は錠を開け、宝物殿の古びた扉を開け放った。
中からは仄かな沈香の匂いと冷気が漂ってくる。
左右には木材で組まれた台座が階段状に並び、段のひとつひとつに甲冑や刀、仏像が飾られている。
左右の階段の消失点上に、それはあった。赤い、おそらく和紙で作られた羽が竹ひごに通され、ゆるゆると一定の速さで回っている。風もないのに、どうして。
「これ、止まったら、どうなります」
神崎がようやく口を開いた。問いかけている割に、答えなど期待していないような、まるで独り言のようだった。神主はなにも言わなかった。
「神崎、お前触ったりす___」
んなよ。と、言おうとして、風車に目を移す。
止まっていた。
絶対に止まらない風車は、初めからそうであったかのように、疑いようもなく静止していた。
え、神主さんこれ、止まってんですけど。
と話しかけようとして、自分の体が動かないことに気づいた。
瞬き一つできない。
蝉の声は聞こえない。
この世界が、風車の回転と運命を共にするかのように停止していた。
体は動かない。だが意識だけは明瞭なままだ。それが恐ろしかった。
自分の心に冷たい絶望と恐怖が滲んでいくのを感じる。
「まあ、世界が終わらん限りあれは止まらんでしょうね」
錯綜する思考の中で、ついさっきの神主の言葉を思い出した。世界が終わらない限り。
この風車の本質は、止まらないことではない。
『自らが停止した並行世界の時間を、その時点で凍結させる』ことなのだ。
俺が今存在している世界にはあらゆる選択肢・可能性があり、その数だけ無数の並行世界が存在する。
この風車は、その中で『風車の回転が止まる』という選択をとった並行世界の歴史を『あってはならないもの』として凍結し、今後あり得たすべての可能性を消し去る。
世界が終わらない限り止まらないのではない。あれが止まったときが、世界の終わりなのだ。
2022年8月6日の時点までたまたま風車が止まらなかった並行世界。
そんな偶然の産物が、俺の生きた世界だった。
『生き残り』の並行世界で、今も風車は回り続ける。
見捨てられた世界、全てが止まった世界の、時の牢獄の中で俺はただ祈る。
あなたのいる世界で、風車が止まりませんように。