マッドサイエンティスト理系女子との禁忌的プラトニックラブに想いを馳せる
俺は怒っている。
駿河屋の配送が遅すぎるからではない。
死神ドットコムが近所のどの書店にも置いていないからでもない。
『性行為が愛情の最高到達点である』
というこの忌まわしき真実に対し、
恋の始まりとは実に多様なものである。
上の階からベランダに侵入されてもよし、
チャイニーズ女海賊に攫われてもよし、
トリステイン王国の貴族にも関わらず魔法の才能のない『ゼロのルイズ』ことルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールに伝説の使い魔、ガンダールヴとして異世界に召喚されてもよし……
なれば恋の終着点が『性行為』唯一つとは何事か!?
互いの凹凸を平均化する行為が愛の極みとは、どういう了見か!?!?
__________と、いうことを考え続け悩んでいたあの日。
俺は彼女と出会った
第一話 恋の始まり、或いは終わり
「君は恋の正体を知っているかい?」
彼女の第一印象は、変な女。その一言に尽きた。
「フォン=アルバトロス波形と呼ばれるパルス波を放出する。脳の神経細胞がね。それが視床下部からのホルモン放出を促し、その作用によってアンチオメラン・アドレフォゲン・ソマラジン等々の分泌物がシグモイド様に増加する。引き起こされるは動悸、紅潮、性的欲求の亢進、瞳孔の散大……そう、これらの諸症状は『恋』と呼ばれる現象に酷似しているのさ」
大学のゼミで同室となった初対面の人間に持ち出す話題にしては、いささか奇天烈が過ぎる。
そして、彼女は字数にして182文字の『はじめましてのご挨拶』をこう締めくくった。
「つまりだね、愛や恋だってのは繁殖を促すシグナルに他ならないんだよ」
それから顔を合わせる度に吐き出される科学談義とも陰謀論とも取れる演説の端々から、彼女が_認めたくないが_才媛の類であること、おそらく思春期を酷く拗らせた人間であること、そして、存外に綺麗な瞳をしていることを知った。
わかった事は他にもある。彼女は別に愛や色恋を嫌ってるわけではなかった。某仮面ライダー俳優の結婚ニュースを「小さいときやってたなー」とぼんやりと見ていたり、ラブコメ漫画をやきもきして熟読していたりと、そういうコンテンツとして人並みに楽しめてはいるらしかった。彼女の嫌悪はその先にある。
性的接触。
「人間の情動も器官も細胞も、性行為による繁殖にあまりにも適している事実に腹が立つ。
ここまでの文明を築いてきた人類史の結論が産めよ増やせよなんて、あんまりじゃないか」
彼女は早々に卒論を書き終え、大学に来ない日が増えた。聞くと各国の生物学の権威のもとへ飛び回っているらしい。彼女の本当の研究テーマが『男女の頬粘膜から生命を創出する方法』だと本人から聞いたのは晩冬のことだった。当然の様に生命倫理からはみ出した研究をしていることに呆れはしたが、今更意外だとも思わなかった。
「絶対に極秘にしてくれよ」
彼女は念押しした。しかし、バレたらどこの国のなんの組織に捕まるかもわかったものじゃないそんな秘密を、なぜ俺に明かしたのか。そう聞くと彼女はやや赤面した。
俺は少し嬉しかった。そんなものに何の意味もないのに。俺と、おそらく彼女の心にあるそれは、人類存続の為に発動した只の機構に過ぎないのに。
次に彼女に会ったのは卒業式の日だった。北校舎の外れの研究室。遮光カーテンを開け放し、鉄骨ビルのコンクリートの壁を背景に彼女は立っていた。
「完成したんだ!文明と科学で人間の原始的本能を超越する、その手段が!」
彼女にとって今日が卒業式であることも、俺たちが約束もなしにこの研究室で再び出会ったことも、一切なんの学術的価値もない事象に過ぎなかった。
「私の分は採取した。もう一対は、君だ。君でいい」
俺は涙を流していた。君でいい。その言葉が何よりも嬉しかったからだ。
君がいい、ではなく、君でいい。
そう。ここに立っている俺と彼女は、『俺と彼女』でなくともいい。
科学の科学たる所以は、再現可能性にあるのだから。
万の言葉を飲み下し、俺は大きく口を開けた。彼女が俺の頬粘膜を間違いなくこそぎ取れるように。
ふたりの遺伝子が試験管で生体反応を呈するより先に、俺は恋の果てを知った。
胎動を始める試験管に耳を当て、彼女は愛おしげに囁く。
「遖∝ソ後?∫官縺励■繧?▲縺溘?」
万象が渦を成し、全ての小鳥が裏鬼門を目指し飛び立った。床から齢30ほどのイワシが無数に生える。ロシアの永久凍土にはゲド戦記が投影され、観客は自分の脈拍を不正確に数えた。
俺はニベアを塗らなければ、と彼女の方を振り返る。
彼女は哀しげに微笑んで鐘を鳴らし__________
俺は目を覚ました。
喧しく鳴り響く目覚まし時計を止め、俺はあたりを見回した。
そこは見慣れた自室だった。夕飯のどん兵衛の汁が冷え、床には脱ぎ捨てた衣類が散らかっていた。
彼女の名前が思い出せない。彼女の名前が思い出せない。
震える手で、彼女が俺に教えてくれたいくつかの化学用語を調べる。彼女の存在に縋り付くように。
フォン=アルバトロス波形、アンチオメラン、アドレフォゲン、ソマラジン。
それら全てがこの世に存在しない単語だと知った後、俺は2粒だけ泣き、長いシャワーを浴びた。
〜fin〜